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平成12年6月22日、音楽の友ホールで、「藤木明美ピアノリサイタル」が開かれた。リサイタルはニッポン放送と音楽之友社の共同企画「ギフテッド・アーティスト・シリーズ」の30回。中堅・実力派のアーティストを、ラジオと雑誌の二つのメディアで紹介する。演奏は10月1日、8日ともに(日)10:30pmより、ニッポン放送の「新日鉄コンサート」で放送された。

「新日鉄コンサート」公開録音リサイタルヘ寄せられたお便り
(F.K.さん 女性)

 ピアノを聞いている感じがしないという初めての体験をした。この日のコンサートでのことだった。音色が別の楽器の様だったとか、歌っている様だったということとも違う。そんな次元をとうに超えていた。
 自分の前に情景が広がり、いつのまにか自分がその世界の中にいるような錯覚にとらわれたのだ。ピアノを弾いている人を見るのでもなく、ピアノを聞いているのでもなく、ただ一人の女性がある情景の中で戦っている。その中に自分もいて、一緒に戦っている様な気になった。
 美しい景色に見とれる感覚と少し似ていた。そこに見えたのは、いつか見たことがあるような懐かしい田舎の絵で、実りの秋でもあり、また、爽やかな初夏でもある様な、生命力に満ち溢れた世界だった。必死でこらえないと涙が溢れ出してしまいそうだった。
 泣きのピアノ。ピアノが呼吸するあのうねり。ピアノと呼吸と自分の呼吸がぴったり合う瞬間がある。その時、私と音楽の間には、最早すき間はなく、自分もまた情景の一部になる。・・・・・
 彼女の人生を、一人の女性の生き様を見ている映画の観客の様な気持ちになった。その情景の何という深さ。彼女の音楽は水に似ていると思った。
氷にも、柔らかな水にも、激流にも、温水にも姿を変える生命の源。その生命力が、彼女の音楽を聞く者に傍観者であることを許さないのだと思った。音楽においても、人生においても。

 ピアノを弾くこと。それは、一人でその情景に立ち向かい、甘くも辛くも戦うことかもしれないとこの日思った。自らが作りだす情景の中で、また自ら戦いに挑むのだ。そこには他者から直接の救いの手は差しのべられない。
自分で戦うしかなく、また、だからこそ得られる強さというものがある。

 藤木さんのピアノを聞いていると、私の中の感性が溢れるほどによみがえった。急に世の中すべてからエネルギーが降り注いできた気がした。地球が放ってくれていた、これだけのエネルギーに私はこれまで気づかなかったのこという驚きさえあった。

 これだけ人を幸せにできる音楽に出会ったのは、初めてです。そして、私と同じ様に幸せを味わう人が、これからも山ほど出ると思います。きっと藤木さんは、これからも人を魅了し続けるのだと思います。

「新日鉄コンサート」
プログラム
音楽の友ホール

<新日鉄コンサート10月1日放送プログラム>

(日本歌曲)
■鐘がなります        山田耕筰作曲 藤木明美編曲
■箱根八里         山田耕筰作曲 藤木明美編作
■たあんき ぽーんき     中田喜直作曲
■お月さまいくつ       石井歓編曲
■さくら横ちょう        別宮貞雄作曲
■松島音頭         山田耕筰作曲
■砂山            中山晋平作曲


<武満 徹 うた>
■小さな空           武満 徹 詞
■うたうだけ           谷川俊太郎 詞
■三月のうた          谷川俊太郎 詞
■死んだ男の残したものは   谷川俊太郎 詞
■翼               武満 徹 詞


<新日鉄コンサート10月8日放送プログラム>

(Soul of Piazzolla)
■レビラード・Revirado
■鮫・Escualo
■アンダンテ・Andante/タンゴ組曲より
■リベルタンゴ・Libertango
■忘却・Oblivion
■ミケランジェロ’70・Michelangelo’70

ナターシャと初めて会った日 8月19日ウクライナの歌手ナターシャ グジーと顔合わせした。ナターシャは、チェルノブイリ子ども基金救援コンサートのために来日している。

 私は12月8日(金)本郷台のリリスホールで、ナターシャとジョイントコンサートをすることになっていて、この日は、そのうち合わせのために、スタッフを入れて7人で会った。リリスに現れたナターシャは、この世の人とは思えない様な美しさで、私は目が釘づけになってしまった。

 現在20歳の彼女は、6歳の時に被爆している。彼女の大切な多くの人たちも、チェルノブイリの不幸な事故の犠牲になっている。今も多くの子ども達が苦しんでいるにもかかわらず、時間の経過とともに人々の意識から遠ざかっているのが現実。私自身、彼女に会うまでは、あってはならないこの事故の悲惨さを想像するのは難しかった。でも、彼女の美しさに触れて、この天使の様な透き通った美しさも被爆しているのかと思うと胸が詰まるものがあった。

 ナターシャの歌は、外見の可憐さとは異なり、心の奥底に訴えてくる強さがある。この話を頂いたとき、正直言って私は、自分の音楽との接点を見出せない気がして、すぐには受けられず、ナターシャのCDを聞いてからお返事することにした。ところが、私が耳にしたナターシャの歌は、心をえぐってやまなかった。音楽そのものに、土に根ざして生きる人々の強さと祈りがあった。事故によって土を奪われた悲しみと叫びがあった。
 私は、気持ちが熱いうちに、ぜひ、やらせて頂きたいと返事した。

 今、彼女はテレビ東京のドキュメンタリー番組の密着取材を受けている。放送は、10月始めで1時間の番組らしい。これまでにも、テレビや新聞で何度も紹介されているが、生の彼女の歌がもっと多くの人に広まることを期待してやまない。

リリスホール

<プログラム>

*藤木明美ピアノソロ*
■バンドネオン
■ガウチョの踊り
■忘却
■リベルタンゴ

*ナターシャーグジー*
■鶴
■ふるさとの母の花
■わが町キエフ
■アメージンググレイス
   他

故 中田喜直先生 このコンサートは、中田先生がライフワークにされていた「禁煙キャンペーンコンサート」の一つ。ラジオ短波でも放送された。
中田喜直氏と言えば、「雪の降る町を」「めだかの学校」「夏の思い出」など、誰もが知って名曲をたくさん残した、日本の歴史に残る名作曲家。
中田先生とコンサートをご一緒できたことは、私にとっては、まだ見ぬ私の孫に伝えたい思い出。

先生はお父様である、作曲家の中田章氏がヘビースモーカーで
若くして亡くなられたこともあり、たばこに対する思いが格別でいらしたようだった。

「タバコをやめれば、健康だけでなく、豊かな時間やお金も手に入る。私は73歳で毎年スキーを楽しんでますよ。」
とコンサートで話してらした。

打ち合わせとレッスンを兼ねて、六本木の先生のお宅にお邪魔したとき、先生は自から、いつも朝食にしてると言って、和菓子を出して下さった。気さくな方だった。

先生は、うたの住吉さんに、コンサートでどうしても歌って欲しいという曲を出してこられた。「スワン」という短い童謡。もちろん白鳥のスワン。
「なぜ、この曲を?」と思ったが、先生は愉快そうに理由を話された。「スワン、吸わん、ですよ。(笑)」
ユーモアのある方だった。

「私は自分の曲をたくさんの人々に歌ってもらって、とても恵まれた人生です。ですからこれからの人生、何か社会に恩返ししていきたいのです。」先生のお宅で聞いた言葉。心に強く残っている。
柔らかく、明るく、真っ直ぐに生きた中田先生。
歌に醸し出されていますね。

フィリアホール

歌 住吉和子  ピアノ 藤木明美
  
     <プログラム>
■風のうた
■たあんき ぽんき
■ちょうちょ
■悲しくなったときは
■むこうむこう
■金子みすずの詩による童謡曲集
  「ほしと たんぽぽ」より